アドニスたちの庭にて
 “青葉祭” 〜鳴動 B
 

 

          




 人の話し声がする。遠くからの談笑の声みたいに聞こえていたそれが、そうでないと判るまでに意識が戻って来て、瞼が自然と上下に離れて、
「……………。」
 視野の中に広がったのは、いやにがらんとした場所だった。ちょっとしたサークル用の集会場みたいな広さがあって、天井も高い。壁の向こうのどこか遠くで、車が行き来するような走行音が時々聞こえていて、でも、人の声はしない不思議な空間。暗くはないが、くっきりと陰が出来るほどには明るくもない。屋内だからだと判ったものの、何で、どうして、何処にいる自分なのかが、皆目判らない。確かまだ学校にいた筈なのに。青葉祭の終盤。学校は何処にいても盛り上がってて、楽しくて。
“…そうだ。体育館へ行こうとしてて。”
 急がなきゃ遅れちゃう。応援しますって言ってたのに、高見さんの出る試合に間に合わない。それでと、緑陰館からの近道を選んで走っていたら…、

  「…あ、目が覚めた?」

 不意に。間近からの声がして。そんなにも至近に誰かがいたなんて、全く気がつかなかった瀬那が、息を引きつつその身を引きつけるほどの反応を見せる。
“…この、声。”
 覚えてる。思い出した。体育館への途中で誰かに呼び止められた。
『ああ、ちょっと。』
 青葉祭の間は、授業もなくて。特別教室だけの特別棟は、原則的に立ち入り禁止となってる筈で。そんな棟の昇降口に立ってた人。白騎士のじゃないジャージ姿で、でも、先生とも思えない、自分と変わらない年頃の人だから…転入生なのかな? そんな混乱に襲われてか、眸を開けこそすれ、そのまま呆然としていると、
「大丈夫? 手荒なこと、したくはなかったんだけどもね。」
 手を延べてくれて、起こしてくれるつもりらしく。
“ああ、ボク、横になってるんだ。”
 べたべたする合革張りのソファーの上にいる事までを、何とか把握したセナだったが、
「…っ。」
 身を起こそうとした途端、背中がひりっとして顔を顰める。小さな肩のすぐ下、かいがら骨の辺りに、チクリと痛みが走ったからで、

  “…あ。”

 そうだ。何かが当てられて、え?って思ったのと同時に、痛さが遅れて飛び込んで来て。それも、振り払えないほど深いところへ突き通るような痛さだったような。一瞬で意識がなくなったほどの何かをされたんだと、思い出してた顔の前、
「起き上がれる?」
 ほらって、手を差し出されて。反射的に掴まろうとした自分の手が…片方の手にもう一方が、勝手についてゆくのへとハッとした。意志の伴われないこと、強制されてる違和感。見やった自分の手には、

  “………手錠?”

 なんで? どうして、こんなもの? こんな道具で拘束されているだなんて、自分が置かれた情況が、やっぱり全く判らない。困惑と動揺から、大きな瞳をますます大きく見開けば、
「痛かった? ごめんね。逃げ出されたり勝手されちゃうと困るから。あんまり動かさなきゃ大丈夫だからね。」
 穏やかなトーンの、至って優しげな口調で話しかけて来る青年であり、細身の体つきからも、さして威圧感は感じない。でも…何だか変な感触がすると、セナには感じられ、そのせいで どうにも落ち着けない。優しいと一口に言っても色々と種類があって、例えば、高見さんや桜庭さんが示して下さる、行き届いたお心遣いや所作には、確固たる自負があっての頼もしさが滲んでいるし。蛭魔さんの場合は、それと判りにくい言動だったりするけれど。パターンみたいのが判っちゃうと、あのね? ああ、照れ隠しに乱暴な言い方なさったんだとかっていうの、察することが出来たら凄っごく嬉しくなるし。進さんは…口数が少ない人だけれど、えとあの、不器用な人だからこその、ご自身でもまだるっこそうに切なそうな眸をなさったりするのが、こちらのお胸へ“きゅぅうんっ”て、ちゃんと届くのに。
「ガムテープが今時の定番だそうだけど。肌が荒れちゃうと困るでしょ?」
 この人のは何だか…べっとりとくっついて来るみたいな不躾さばかりが前に出ていて。優しいって言うよりも、度を越した馴れ馴れしさが却って薄ら寒い。そんな様子は、彼の仲間内にも不評なのか、
「お前なぁ。そいつは女じゃねぇんだぞ? 何だよ、その、手が荒れるってのはよ。」
 離れたところからの別な声に、セナがぱちぱちっと瞬きをすると。おやと、何か見つけたと言いたげな、セナの反応への薄ら笑いを尚のこと濃くして見せた、手前の青年。
「判ってますって。」
 背後からかかった声へと振り向きもしないままで応じて、視線はセナを見やったまま。
「でも、可愛いじゃないですか。さすがは白騎士の子だ。聞いた話じゃ幼稚舎から通ってるんでしょ? この子。」
 いかにも純粋培養ですって感じで、これが“生え抜き”って奴ですかねと問うて、知らねぇよと面倒そうに応じた男の方へは やっぱりなかなか振り返らないまま、
「こういう可愛い子は、どんな顔をしても可愛いんですよね。」
 うふふふふと笑った彼が、自分の着ていたジャージのポケットから取り出したのは、床屋さんが使う専用のハサミを思わせたほどに、それは細身の…鞘のついたナイフではなかろうか。セナに見えやすいようにというつもりなのか、指を立てて鞘の途中を摘まんでそのまま引き抜くと、ナイフというよりも やはりハサミの片刃のように本身が細い、10センチほどのナイフの刀身があらわになって、
「綺麗でしょ? 僕の宝物なんですよ。手入れを欠かさないから、そう、こんな柔らかい肌だったら、室温にしといたバターみたいに、そりゃあなめらかに切っちゃえる。」
 ふふふという笑い顔を変えぬまま、セナの鼻先へと刃を近づけて見せる。
「〜〜〜〜〜〜。」
 いやらしい笑い顔との間に、冷たく濡れたナイフの刃。どっちも怖くて、でも…視線が外せず。横になったままなソファーの上で身じろぎをし、精一杯に逃げようと後ずされば、手前のナイフ男は赤ちゃんでもあやしているかのように、満足げな顔をする。
「いい加減にしとけ。冗談抜きに怪我はさせんじゃねぇよ。」
 呆れ半分といった口調で、もう一人が声をかけて来る。
「そいつはただの人質だ。くどいようだがいいとこの坊やだからな。下手に怪我ァさせると、何が“落とし前つけろ”と出て来るやら。」
 怪我さえなきゃあ、何の話だってシラァ切り通せるかんなと。そちらさんはそちらさんで、やはり堂に入った物言いをする人物であるらしく。
“…誰、なんだろ。”
 何でこんなことになっちゃってるの? 自分に何か、こんなことをされるような非があったのかしら? それともお父さんの弁護で不利な判決をされたっていう人の、知り合いとか関係者なのかな? …でもでも、最近はお父さんが担当した公判って勝ってばかりだった筈なのにな。お相手の人の関係者なのかな? あくまでも自分の所業に何か問題が?と、ドキドキしながら因果応報を懸命に探そうとしていたセナの耳へ、

  「…っ。」

 少し遠くからの喧噪が届く。何も見えないから壁の向こう、外での騒ぎらしくって。不意に沸き立った幾つかの声。ベランダから干し出したお布団を叩くような鈍い音や“ごらぁっ!”とかいう脅しつけの言葉が何度も飛び交ってるのが、此処にまで聞こえて来る。此処にいた二人にもそれは聞こえたらしく、
「おっ、やっと来やがったな。」
「さすがですねぇ。この子を押さえたって一言だけで来るなんて。」
 何だよ、作戦通りに運んでんじゃねぇかよ。いや、だって。ムロさんの情報って、アテになるんだかどうなんだか。何だとぉ? いえね、あいつ用心深いってか、あんまり喧嘩は買わない奴なんですて。軽口を叩き合う彼らには、突然の喧噪を引き起こした“誰か”の素性が既に判っているらしく。しばらくすると…何かを殴りつけていたらしい鈍い音もやんで、
「連れて来やした。」
 セナの位置からは見えなかった方向から、新しく何人か入って来た気配がした。すぐ間際にいたナイフ男が、わざとらしくも“ひゅ〜ぃっ”と口笛を吹いて見せ、
「健気というのか、律義というのか。」
 ちゃんと独りで来たんですねぇ、偉いもんだ。小馬鹿にするように言ったのへ、
「そりゃそうだろう。そうしなけりゃ、仲良しのお友達がどうなっても知らないよって、言ってあったんだしよ。」
 へへへと、もう一人、ムロとか呼ばれていた方が、妙に得意げな言い方をする。
“仲良しのお友達?”
 さっきもセナを差して“人質”とか言ってなかったか? もしかして、自分は誰かの枷にされるためにと、チョイスされて攫われたのではなかろうか。今になってやっと、そういう結論へと思考が動き出したセナの眼前へ、両側から二人がかりで抱えられ、半ば引き摺られるようにして運ばれて来た人物が、その姿を見せて………。

  「………っっ!!」

 驚きが過ぎると、声が出せなくなるって本当なんだと。初めて実体験出来たセナだった。だって、その人は、つい数日前にも元気なところを見せてくれたばかりの、そりゃあ頼もしい人。セナの何人分もの、度胸とか腕っ節とか持っていそうな男らしい人。そして…確かに、ムロとかいう男の言う通り、共通点は全くと言っていいほどに見当たらないのに、セナとはお友達でいてくれる、ぶっきらぼうだけれどホントは優しい、

  “…十文字くんっっ!”

 喧嘩にだって物凄く強い筈の彼が、さっきの喧噪で叩き伏せられたのだとしたなら。いやいや、その前に。こんなところへとやって来たのは、もしかして。

  ――― セナという“人質”を盾に取られての、ことなのではなかろうか?

 さして抵抗もせぬままに、したたかに殴られたか。口の端から血が滲んでいるし、薄色の開襟シャツも浅い青のジーンズも、あちこちが汚れてる。悔しそうな顔をしていて、セナに気づくと一瞬だけ…ホッとしたように眸を見張ったが、視線は合わせたくないのかすぐにもそっぽを向いてしまった。
「カノジョじゃないとこが拍子抜けで、まったくもって色っぽくねぇ話だがよ。居ねぇんじゃあ、しょうがねぇやな。なあ?」
 アッハーと、何がどう可笑しいのか、動きを封じられている十文字を笑って見せたムロとやら。

  「あんま、手を焼かさねぇで吐いてくれりゃあ、お前も、この子も早く帰れる。
   そこんところを忘れんじゃねぇぞ? 判ったな?」

 底意地の悪そうな笑いを、でっぷりと太って油っぽい顔へと塗りつけて。こっちのナイフ男と差して変わらない、粘着質っぽい表情を浮かべて見せたのであった。









            ◇



 前々から、ここいらのツッパリ連中や黒美嵯の子たちに“アガリ”を納めさせたり、ウチでの催し物への大人たちのトトカルチョを仕切ってたり…って連中が居てサ。結構大きな利権だからね、当然、学生だの十代のギャングもどきだのが扱えるもんじゃない。何十年も続いてる悪習だって話だから、も少し上にそれなりの組織があってのものなんだろうけど。そんな奴らへのパイプ係、直接の顔が利くってことから“顔役”気取りな奴が黒美嵯に居るらしくてサ。…そう、学生だ。だって、大人にはやっぱ色々と限界があるでしょ? それと、警察関係からの探りが来たら、あっさりと関係を断てばいい。なに、捕まったって少年法で守ってもらえるんだし、施設から出て来りゃ、それなりの格で迎えてやるなんて言い含めりゃ、まだ世間をよく知らないガキだから、あっさり従うだろうしね。そういう奴があのガッコの代々のヘッド…昔風に言えば“番長”も兼任していたらしい。こっちの催し物がそんな奴らの“お楽しみ”のネタにされてるってだけでも十分腹立たしいってのに、このところは参加するウチの生徒を揺さぶって、八百長への“協力”までさせるようになってたそうでね。




 淡々とした声で彼らの側での“心当たり”を説明してくれる美貌の会長さんは、だが。そのお顔へ笑みさえ浮かべているけれど、その実、途轍もなく…この件に関してはお怒りであられたらしくって。他の同座している皆様までもが、緊急事態の最中だってだけが理由ではなさそうな、重くて熱い沈黙を保っておいでなのが ひしひしと伝わって来。今回の騒動、この生徒会が一番に頑張って奮闘し、楯突いてきた懸案にも深く関わっているのだなということを、筧や水町へも匂わせる。上背のすこぶるあるこの二人にとっても ゆったり余裕の車内なのは、桜庭が緊急事態だからと呼んだ車が、世界の名車、ローイスロイス、特別カスタマイズ Ver.だったからであり。後部座席は円座のサルーンになっている広々とした室内、もとえ、車内には、桜庭と筧、水町、進に高見。それから、蛭魔だけは助手席におり、膝へと広げたノートパソコンにGPS対応のカーナビっぽい地図を呼び出して、運転手さんへの詳細な指示を出している模様。時折、携帯でどこぞへかへ連絡を取っているようなのだが、そちらへは繋がらないのだろうか、表情が険しいままだし、細い肩もいつにないほどの緊張で強ばったまま。進も、表情にこそさしたる変化はないものの、膝の上に置かれた拳が巌(いわお)のように角張っており、静かに静かにどれほどの憤怒をその身の裡へと溜めているかが偲ばれる。そんな中、桜庭会長の説明は続いて、

  「でもさ、学生ってのは毎年毎年顔触れが変わっていくもんでしょ?」

 留年したとしても限度ってのがある。一年生でいきなり頂上に駆け上がって総長さんになったとしても、4年か5年が限度かな? 何せ黒美嵯は公立高校だからね。だから、そこへと目をつけてみた。よほどに目立つ腕っ節の子でも現れない限り、大体は新規の三年生が引き継いでた“顔役”みたいだったから。新しい顔役候補に上がりそうな子たちを、僕らで先に押さえさせてもらった。うん、それってのは一昨年の話なんだ。こんなお上品なガッコの一年坊主が、他所のガッコの恐持ての顔役候補の二年生に何が出来る?って顔してるね? 何も向こうの十八番に倣う必要はないからね。スポーツ推薦で入学して来て下さいなんて、大学からの御指名があったら? 実業団チームが有名な、大きな企業からのオファーがあったら? そんな“顔役”なんてもの、引き受けてる場合じゃないでしょ? それどころか、在学中に大きな不祥事なんてものが起こったら、せっかくの美味しいお話がどうなることやら。
「そんな訳で、在校生の中の、候補として目をつけられそうな恐持てどころたちは、僕らが先に“青田買い”しちゃったもんだから、当時の顔役は自分の跡を継いでくれる対象探しに、殊の外、手を焼くことになっちゃってね。」
 仕方がないからってんで、まだ入学してもいないのへ目をつけて、何とか“推薦入学”ってお膳立てをし、これで一安心ってしてたところを、

  「それこそあの手この手でそいつの身から埃を叩き出して、
   どんな細かいものも見逃さず燻り出し、警察へ取っ捕まえていただいて。
   そこへ、妖一に言って“とどめ”を差してもらった。
   十文字くんの黒美嵯への入学依頼ってカッコでね。」

 そうやって“黒幕”とやらと学生との直結ルートを断つことで、さて、誰が出て来るかなと見守ることにしたんだけれど、十文字くんは凄かった。凄すぎた。あまりにあっと言う間に黒美嵯を平らげてしまったから、向こうさんの黒幕も一体何が起こったんだかの把握が出来ぬままに あたふたしたらしくて。何事もないままに去年度の1年が過ぎて、さて。今年はどう出て来るのかなと、思いはしてたけど…。

  「まさか いきなり、こう来るとはね。」

 軽く脚を組んだ、その膝頭。指を組んで乗せていた桜庭会長の両手が、ぐっと握り込まれて白くなる。
「セナくんに何かあったら。進だけじゃあない。妖一だって高見だって、勿論のこと、僕だって。絶対に容赦はしない。」
 これだけは譲れないと、くっきりとした声でそうと言い切り、それでもまだ足りなかったのか、こうも付け足した彼であった。



  「事と次第によっては、生かしてだっておかないかもしれない。」 











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  *結構深刻な流れになってきたのに、なかなか進まなくてすみません。
   頑張って、みんなっ!